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2017年2月24日更新
レーザー光の偏光(注1)を制御することにより、物質から放出される電子のスピン(注2)を自在に操作できることを示した。
この光スピン制御の基本原理を、電子の干渉効果を考慮することで発見した。
電子スピンの光制御は、スピン偏極電子源、スピントロニクス、量子コンピューターなどへの応用が期待される。
東京大学物性研究所の矢治光一郎助教、小森文夫教授らの研究グループは、レーザー光を用いて特定の方向にスピンが揃った電子を物質中から取り出し、その向きを自在に操作できることを示しました。
電子には、正負の「電荷」に加えて、磁気的な性質を示す「スピン」の自由度があります。次世代のデバイス技術として注目を浴びているスピントロニクスは、この両者の自由度を利用するものとして関心を集めています。特に、スピンの向きを精密に観測、制御することは、スピントロニクス実現や新しい電子工学のための重要な技術であり、さまざまな観点や手法で研究されています。
本研究では、レーザー光を利用することで、物質から特定の方向にスピンが揃った電子だけを取り出すことに成功しました。レーザーの偏光方向を任意の角度にすると、上向きと下向きのスピンが同時に放出されます。それらを重ね合わせることにより任意の向きのスピンを作り出すことに成功し、“光スピン制御”の基本原理を発見、実証しました。この成果は、スピントロニクス分野の中でも、特に光を利用したスピン制御やスピン偏極電子源の開発に向けての一般概念となり、多岐にわたる応用と発展が期待されます。
本研究成果は、2017年2月24日(ロンドン時間)に英国科学雑誌「Nature Communications」でオンライン公開されます。
電子は、電気的な性質である「電荷」と磁気的な性質である「スピン」という二つの性質を併せ持っています。従来のエレクトロニクス分野では、電子の電荷としての性質のみを利用してきました。一方、近年になって、電荷と併せてスピンも制御することができれば、これまでよりも高速?低消費電力でのデバイス応用ができるのではないかという可能性が注目され、スピントロニクスと呼ばれる新たな電子工学技術体系として盛んに研究が行われています。スピンを制御するには、磁場、電場、光、熱などが使われます。例えば、磁場を用いたスピン制御は、2007年度にノーベル物理学賞の対象となった巨大磁気抵抗効果のようにスピントロニクスの代表例です。最近では、電場や光を使ってスピンを制御する方法が盛んに研究されています。本成果では、光を使って電子のスピンを制御する新たな原理と方法を確立しました。
実験は、東京大学物性研究所の極限コヒーレント光科学研究センターで開発された、先端レーザーシステムを装備した世界最高性能の三次元スピン分解光電子分光(注3)装置を用いて行われました。試料には、ビスマス(Bi)単結晶試料を用いました。そして、レーザー光をBi試料に照射した際に放出される電子のスピンが、レーザー光の偏光に対してどのように応答するかを、スピン分解光電子分光法を用いて詳細に調べました。
まず、レーザー光の偏光を、Bi単結晶の鏡映対称面(注4)に対して横方向あるいは縦方向にして入射すると、放出される電子のスピンの向きは、この両者で完全に反転することを見出しました(図1)。この結果は、物理的には、Bi結晶中の電子軌道が鏡映対称面に対して対称な成分と非対称な成分に分けられ、それぞれが反対方向を向いたスピンと結合していることを意味しています。従来は、電子の運動方向に対してスピンの向きが決まっているというのが標準的なモデルでしたが、実際には、スピンの向きは電子の軌道成分で決まっているといえます。
さらにレーザー光の直線偏光を回転させると、放出される電子のスピンはさまざまな方向を向き、その向きは直線偏光の回転角度と一対一で対応することがわかりました。これは、レーザー光の偏光回転によりスピンの向きを操作できることを示しています。物理的には次のように説明されます(図2)。直線偏光を回転させることで、幾何学的にはレーザー光は横方向と縦方向の両方の偏光成分を持つことになり、お互いに反対向きのスピンと結合している対称軌道の電子と非対称軌道の電子を同時に励起することができます。電子は波としての性質も併せ持ちますので、この同時励起された二つの電子状態は、その放出過程で量子力学的に干渉します。その結果、電子のスピンは、最初とは異なる方向を向くことができます。これまでは、放出された電子のスピン方向は結晶中のスピン状態に依存して決まっていると考えられていましたが、光によって操作できることが実証されました。
本研究では、レーザー光を用いて放出される電子のスピンの向きを、任意の向きに制御できる方法を確立しました。また、直線偏光の電場ベクトルの角度に対する電子のスピンの振る舞いを量子力学を用いて定式化したことにより、これがBiに限らずさまざまな系で適用できる一般概念であることを示しました。この概念は、光照射を用いたスピン偏極電子源、スピントロニクスや量子コンピューターなどへの幅広い応用が可能です。特に、スピン偏極電子源の設計?開発において、本研究成果は直接的に非常に有力なものになります。スピン偏極電子源はGaAsを利用したものが幅広く利用されていますが、その弱点はスピンの向きを自在に操作できないことでした。本研究で示した概念はこの弱点を克服しており、今後の幅広い応用が期待されます。
日本時間2月24日(金曜日)午後7時(ロンドン時間 午前10時)以前の公表は禁じられています。
偏光とは、光の電場?磁場が特定の方向に偏っていることです。ある平面内で電場、あるいは磁場の振動方向がそろった光のことを直線偏光といいます。
電子が持つミクロな磁石としての性質をスピンと呼びます。スピンには向きがあり、さまざまな向きをとることができます。
物質に光を照射すると、光電効果により物質中の電子(光電子)は物質外に放出されます。放出された光電子のエネルギーと運動量を分析すれば、この電子が物質中でどのように振る舞っていたかを知ることができます。通常の光電子分光法では、電子のエネルギーと運動量だけを分析しますが、スピン分解光電子分光法では、さらに電子のスピンも分析します。三次元スピン分解光電子分光法では、スピンの向きを三次元的に観測することができ、スピンが空間的にどちらを向いているかを精密に決めることができます。
空間内の図形が、ある平面に対してあたかも鏡に映したようになっている場合、その面のことを、鏡映対称面とよびます。結晶は原子が規則正しく配列したものであり、その並び方によっては鏡映対称面を持つ場合があります。Bi単結晶の原子配列も鏡映対称面をもっています。
(図1)光照射による電子放出の概念図 Biなどの重い元素を含む物質に、レーザー光を照射する際に、偏光方向が結晶の鏡映対称面に対して縦方向の場合と横方向の場合では、それぞれ反対向きのスピンを持った電子が放出されます。 |
偏光方向を任意の角度にすると、光は縦偏光と横偏光の両方の成分を持つため、反対向きのスピンが同時に放出されます。図1の(a)と(b)が同時に起きていると言い換えることもできます。電子は波としての性質を持つので、同時に放出された電子は干渉します。この干渉効果によって、電子のスピンが様々な方向を向くことができ、レーザー光を用いて電子スピンを自在に制御できることを明らかにしました。 |